片手が使えない―
それは何かができない、というより、いつも少し足りない、という感覚に近い。
食事もそうだ。
食べることはできる。
でも、器の端に残るほんのわずかなご飯粒に、体は追いつかない。
スプーンは届かず、角度もつけられない。
「あと一口」が、毎回、遠い。
残すことに慣れてしまうと、できなかった理由を説明しなくてよくなる。
でも、心のどこかに小さな引っかかりだけが残る。
陶芸工房・土花の『すくえる器』を使った日、その引っかかりが、静かに消えた。
力を入れなくても、器の形が、受け止めてくれる。
傾けなくても、最後の一粒が、集まってくる。
器が、使えない右手の代わりを黙って引き受けていた。
主張はない。
特別扱いもない。
ただ、そういう形をしているだけだ。
DARESHiMOGAが大切にしているのは、「がんばらせない」こと。
人が道具に合わせるのではなく、道具が、人に近づく。
最後まで食べきれた、それだけのことで、一日が、少し穏やかになる。
誰しもが、最後の一口まで食べていい。
その当たり前を、この器は、静かに思い出させてくれる。

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