“歩けるのに”と言われるたびに

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「歩けるなら、歩いた方がいい」
たしかに、その言葉自体には悪気がないことも多いのだと思います。

でも、その言葉の中には、
“歩ける=良いこと”
“車椅子=できれば使わない方がいいもの”
という前提が、無意識に含まれていることがあります。

けれど実際には、「歩ける」と「生活できる」は別の話なのだと思います。

歩くことに全神経を使ってしまえば、
景色を見る余裕がなくなる。
人の話を聞く余裕がなくなる。
何かを考える余裕がなくなる。
帰宅したあと、何時間も動けなくなることもある。

それでも“歩けている”から、周囲には見えにくい。

だからこそ、
「歩けるんだから歩けばいい」という言葉が、
本人にとっては、
“あなたの苦労は見えていない”
と言われているように感じることもあるのだと思います。

車椅子は、「歩くことを諦めた人のもの」ではなく、
“生きるための余白を取り戻す道具”でもあるのではないでしょうか。

考えながら移動したい。
景色を見たい。
ぼーっとしたい。
疲れ切る前に帰りたい。
人と話したい。
その日に使う力を、“歩くこと”だけに全部使い切りたくない。

そういう選択も、本来はもっと自然でいい。

そして、杖も車椅子も、
「できない人の印」ではなく、
“その人がその人らしく生きるための方法”
なのだと思います。

もちろん、狭い道や混雑など、
社会の中で互いに配慮し合う必要はあります。
ただ、それは車椅子利用者だけが我慢する話ではなく、
みんなで調整していく話でもあるはずです。

「歩けるのに、なぜ乗るの?」
ではなく、

「その方が、この人は楽に生きられるのかもしれない」

そう考える人が増えると、
少し生きやすくなるのかもしれません。

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