4月25日「失語症の日」に寄せて

Djajjkykytlk

4月25日は「失語症の日」です。

失語症は、脳卒中や頭部外傷などの後遺症として発症し、
「話す・聞く・読む・書く・計算」といった、言葉に関わることに困難をきたすものです。
国内には約50万人の方がいると言われていますが、
社会的な認知はまだ低く、「見えにくいもの」とも言われています。

私自身も、この症状があります。

退院してから、いちばん苦労したのが、この“言葉”でした。

どう言えばいいのか、
頭の中で何度も確認してからでないと、言葉にできない。
「この言葉で合っているのか」
「ちゃんと伝わるのか」
そんなふうに、頭の中で何度も行き来してから、ようやく口に出します。

それでも、うまく伝わらないことがあります。

そのたびに、悔しさや悲しさを感じてきました。


(事例)Aさんの話

まずAさん。
この方はご本人ではなく、お父様が失語症を経験された方です。

お父さんは、失語症の影響で
「あれ」「それ」「もういい」「ばかタレ」
そのくらいの限られた言葉しか話せなくなりました。

もともとは、とても時間に厳しい人でした。
家族の中でも、誰よりも時間を大切にしていた方です。

発症から10年ほど経ったある日。
時計のない場所で突然、
「今、何時か?」
と声に出されたそうです。

家族はとても驚きました。

たった一言。
でも、その一言には、長い時間の中で積み重なってきた思いや、
ずっと言いたかった気持ちが詰まっていたのではないかと感じたそうです。

Aさんは、その出来事をきっかけに、
「何を伝えたかったのか」を考え続けるようになりました。

入院先で出会った作業療法士の存在にも背中を押され、
その道を目指すことになります。

日々の関わりの中で、
ただ言葉を待つのではなく、
「外のこと?」「車のこと?」と、
少しずつヒントをもらうように会話を重ねていく。

そうして丁寧に紐解いていく中で、
「車の車検がもうすぐ切れる」
ということを伝えたかったのだと分かったこともありました。

言葉が少ないからこそ、
そこにある思いを受け取ろうとする姿勢が大切になる。

その経験は、今の仕事にもつながっているそうです。


(事例)Bさんの話

次にBさん。
この方は失語症の当事者ではなく、とある方の先生になる方です。

日々、失語症のある方と関わる中で、
こんな言葉を話されていました。

「日常生活は、なんとか送れる方が多いと思います」

食事や身の回りのことなど、
一見すると生活は成り立っているように見える。

でもその一方で、

「仕事など、社会の中に出たときにこそ、誤解に苦しむことが多い」

ともおっしゃっていました。

うまく話せないことで、
「理解していない人」と思われてしまったり、
「やる気がない」と受け取られてしまったり。

本当は頭の中では考えているのに、
それを言葉として出すことが難しいだけなのに、
言葉だけで判断されてしまう場面がある。

そして、その誤解をそっと補ってくれる人が、
まだまだ少ないのが現状です。

「伝えられない」こと以上に、
「誤解されてしまう」ことのほうが、
深く残る苦しさになることもあるのだと感じました。


(事例)Cさんの話

次にCさん。
この方は、失語症と向き合いながら、なんとか働こうとしている方です。

働きたいという思いは強くあります。
社会の中で、自分の役割を持ちたいという気持ちもあります。

それでも、現実は簡単ではありません。

言葉のやり取りでつまずいてしまったり、
コミュニケーションのズレから評価が難しくなったり。

アルバイトであっても継続することが難しく、
自分に合う場所を見つけるまでに、多くの壁があるそうです。

その中で、Cさんはこう話してくれました。

社会の中で、
自分のような立場の人間が
「支えられている側」として見られているように感じることがある、と。

「助けてもらっている」
そのこと自体はありがたいはずなのに、
どこかで引っかかってしまう。

そして、仕事に就くことができない現実の中で、
「自分は本当に、支えられているだけの存在なんじゃないか」
そんなふうに思ってしまうことがあるといいます。

その葛藤の中で、日々を過ごされています。


(事例)Dさんの話

次にDさん。

4年前、脳の影響により言葉にも麻痺が残りました。

入院してからの2ヶ月ほどは、
自分では話しているつもりでも相手に伝わらず、
思うように言葉が出ない状態が続きました。

もともとは、おしゃべりが大好きな方でした。

仕事に復帰しても、
言いたいことがあっても、言葉がタイミングよく出てこない。

その結果、黙ることが増えていきました。

入院中は毎日、日記を書き、
翌日のリハビリで読むことを続けていました。

その積み重ねが、
言葉にする自信につながっていきました。

それでも、社会の中では、
多くの音や会話の中で必要な言葉を拾うことが難しく、
集中し続けることにも負担があります。

周囲に理解してもらう難しさも、
日々感じているといいます。


4月25日。
「失語症の日」。

この日にあわせて、
全国でさまざまな取り組みが行われています。

NPO法人りじょぶ大阪でも、
当事者の声を届けるイベントが開催されています。
https://rejob-workers.com/aphasia-day

実際の声や空気感に触れることで、
見え方が少し変わるかもしれません。


私は、少しだけ違う見方もあるんじゃないかと思っています。

この世の中に、
本当に「違いがある人」と「ない人」という線はあるのでしょうか。

どこで分けるんでしょうか。
誰が決めるんでしょうか。

言葉が出にくい日もあれば、
聞こえにくい日もある。
見えにくい日もあれば、
うまく考えがまとまらない日もある。

それは、特別な誰かの話ではなく、
誰の中にもあるものなんじゃないかと思います。

4月25日でもいい。
それ以外の日でもいい。

一度、考えてみてほしいんです。

そしてもしよければ、こういった場にも触れてみてください。
https://rejob-workers.com/aphasia-day


あなたは、
自分の中にある「違い」に、気づいていますか。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。