“便を我慢する”という難しさ

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今日、近くの公園まで行っていた時のことです。
途中で急に便意がやってきて、非常に苦労しました。

僕は病気をしてから、「便を我慢する」ということが、とても難しくなりました。

もちろん冗談ではありません。
普通であれば、「トイレに行きたい」と思ってから、10分とか30分とか、ある程度は我慢できる人も多いと思います。

でも僕の場合、「行きたい」と感じた時には、もうかなり切迫しているんです。
だから、“そのうち行こう”ができません。

病院を退院してから、ずっとそんな感覚があります。

実際、トイレに行けば1分ほどで終わることが多いんです。
つまり、出始めたら本当に早い。
逆に言えば、“出る直前まで我慢する余裕がほとんどない”ということでもあります。

もちろん、オムツなどを使うという方法もあると思います。
でも、今のところ僕はまだ使っていません。

だから外出する時は、常にどこかで、
「近くにトイレはあるか」
「今のうちに行っておいた方がいいか」
「もし並んでいたらどうしよう」
ということを考えています。

実際、これまでに3回ほど間に合わなかったことがあります。

その中でも一度は遠方で起きてしまい、本当に大変でした。

急いで近くのお店に入り、
「何でもいいのでズボンをください」
とお願いしました。

パンツは置いていなかったので、ズボンだけを買って、汚れてしまった衣類は袋に入れて持って帰りました。

今だから話せますが、その時は本当に恥ずかしかったです。
情けなさや、自分への悔しさもありました。

でも今は、それを単純に「失敗だった」とだけは思っていません。

病気や身体の変化によって、人は“当たり前だったこと”が、急に難しくなることがあります。

歩くこと。
立つこと。
話すこと。
そして、排泄をコントロールすること。

どれも、健康な時には意識しません。

でも実際には、人間の身体は、たくさんの筋肉や神経が細かく連携して成り立っています。

僕の感覚では、便を我慢する時に使う筋肉と、身体を前に進めるための筋肉、その“力の入り方”がどこか近い気がしています。

つまり、
「早く動こう」
「急ごう」
と力を入れること自体が、逆に便意を強めてしまうような感覚があるんです。

早くトイレへ向かいたい。
でも、急げば急ぐほど危ない。

それはなんとも言えない皮肉でした。

ただ、今日は車椅子に乗っていたので、座ったまま急いで帰ることができました。

もし歩いていたら、たぶんもっと大変だったと思います。

車椅子というと、
「歩けない人が使うもの」
と思われることがあります。

でも僕にとっては、“移動するためだけの道具”ではありません。

考える余裕を持つため。
外に出るため。
安心して帰るため。
そして、“間に合うため”でもあるんです。

こういうことって、外からは本当に分かりにくい。

でも、人にはそれぞれ、“見えない困りごと”があります。

だからこそ、
「見えているものだけで判断しない社会」
になってほしいと、改めて思いました。

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